2009年6月 7日 (日)

沖縄からの便り

桜の花便りがあちらこちらで聞かれるころ、沖縄から一本の電話がありました。電話の向こうで「覚えていますか」という声に私の記憶は9年前によみがえっていきました。覚えていますとも。

清がアパートの一室に構えたアトリエ(愚々庵)があった隣の部屋に、その電話の主である若者Iさんは住んでいました。

「ミュージシャン志望で沖縄から来ていて・・・」ということを清から聞いたことがあります。長い期間ではありませんでしたが、二人の間に交流があったようです。清が亡くなった時は、そのIさんは大変悲しみ自宅まで訪ねてきてくれました。

「良くして頂きました。」といって彼は清の写真を眺め、一篇の詩に心を留めました。その詩は日吉の写真学校の生徒さんで韓国からきているYさんが書いた詩「風と共に」でした。彼もまた清の死を悼み、詩を供えてくれたのです。Iさんは「書いてもいいですか?」といって、その詩を書きとめていきました。

数日後、彼が「イメージが出来たから」といって再び私のところを訪ね、清の写真の前でその詩にメロディをつけてアカペラで歌ってくれました・・・。

時は流れ、

Yさんは韓国に戻り、Iさんも5年前に沖縄に戻っていたそうです。電話の向こうの彼は続けました。

「先生はインディーズでやっていたので、僕もインディーズでやっていこうと思いました。」写真集を自費出版で出すことを、彼は“インディーズ”という言葉に置き換えたのでしょう。

沖縄で彼は「クローバー」というバンドでライブハウスで歌い、CDを作り、音楽活動を続けているそうです。

「2枚目のアルバムにこの「風と共に」を入れたいのだが・・・」という彼の求めに、韓国のYさんも快くOKしてくれ、そして、クローバー2枚目のCDはリリースされました。

『君の香りを風と共に 飛ばせ大地を包むように・・・』

どこかコズミックな感じの曲でした。韓国-沖縄-横浜を結んでその魂は宇宙に漂っているような感じです。

がんばれクローバー!

そして、鈴木清の写真もまた多くの人々の心に触れ、幸せにしているのでしょうか。

バンド「クローバー」のブログ

http://clover2on1.ti-da.net/

Cd_4   

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2009年5月 5日 (火)

鈴木清の仕事 第1弾 DM集

ホームページもブログも長い間更新ができずに、大変ご無沙汰してしまいました。

お蔭様でドイツハンブルグ展も盛況のうちにおわり、各方面から展示、図録のよい評判を頂くくことができました。

くわしくは、こちらをごらんください。

振り返るとあっという間のオランダ展→ドイツ展でした。さて、次なる展開は?まだわかりませんが、鈴木清はもう少しヨーロッパを旅したがっているような気がします。

というわけで、写真がヨーロッパを放浪している間に、ホームページでは多面にわたる鈴木清の仕事を少しづつ紹介していきたいと考えいます。その第1弾として、ホームページに「Kiyoshi Suzuki DM集」をアップしました!

Kyoshi Suzuki DM集はこちら

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写真展のDM(ポストカード)表だけでなく、実は裏面も結構凝っています。どどのあたりかは、お楽しみで探してみてください。特に切手の・・・

鈴木清は多くの個展を開いてきました。そして、その個展の多くのDM(ポストカード)は自身のデザインによるものでした。個展の開催が決まるとほぼ同時にDM作成にもとりかかり、DMのダミーをつくっていました。もちろん、キャッチコピーやそのレタリングも自作です。本当に何から何まで楽しんでやってしまうんですね。

小さなカードの中で繰り広げられる鈴木清の遊びの世界を楽しんで頂きたいと思います。

第2弾はまだ構想中ですが、気長に楽しみに待っていてください。

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2008年12月28日 (日)

雑誌「エスクァイア 2月号」で図録を発見!

先日本屋で雑誌「エスクァイア2月号」をめくっていたら偶然鈴木の今回のオランダ・ドイツ展の図録「Kiyoshi Suzuki Soul and Soul 1969-1999」をみつけました。

2月号の特集は、ズバリ“見せたい本棚の作り方。”著名な作家や写真家、アートディレクターなどの自宅や事務所の本棚を紹介する特集です。その中に企画の一つとしてエスクァイア編集部のライブラリーを実際にプロの空間デザイナーやブックディレクターの指導の下、活きた空間として再生させる「ライブラリーのエディット」という企画がありました。元々多くの資料や蔵書があった編集部のライブラリーですが、今回新しく増補する115冊の中の一冊に鈴木清の図録がありました。見慣れた図録の表紙が突然目の前に現れたのでびっくりです。

完成した新生編集部ライブラリーでは、図録が面出しでディスプレイされていて嬉しかったと同時に、この図録が単なる写真展の記録本にとどまらず、写真に興味がある人、デザインに興味がある人、本が好きな人、いろんな興味を持つ方の感性に響く本になったのではと思えたことです。そしてそんなブックデザインをしてくれたオランダのスタッフに改めて感謝です。

本棚といえば、鈴木のアトリエ“愚々庵gu-guan”も創作の場であり、また多くの蔵書がありました。そこは国内外の写真集にとどまらず、小説、詩集、哲学、画集と様々な本が床が抜けてしまうぐらいに、所狭しと並んでいました。そんな空間で過ごす父は本当にいつも楽しそうでした。時には私たち家族もそこから本を借りたり、家族の会話であることがテーマに上がるとそれならこの本を読むといい、と本のアドバイスをしてくれたこともありました。

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右の写真の下の棚には志賀直哉全集が・・・

また、鈴木清はいつかは若い人たちにそのアトリエを“愚々庵文庫”として開放したいと考えていました。その場では若い人たちが写真だけではない、いろいろな分野、世界から感性を吸収し広げていってほしい、そんなスペースにしたいと考えていたようです。この“愚々庵文庫”については、改めてご紹介したいと思っています。

忙しい日常の中、しばらく忘れていた鈴木清の“夢”を思い出すことができた雑誌の特集でした。

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2008年12月10日 (水)

ハンブルグ帰国編

ハンブルグから戻ってきて、そろそろ1週間が経とうとしています。

写真を見返すと、あらためて素晴らしい写真展だったと思わずため息が・・・。

そうえいば、ドイツ展のDMを紹介していないことに気がつきました。

実は今回のギャラリーでは2つの写真展が同時開催だったので、DMも2つの写真展を兼ねたものになっています。もう一つの写真展は。「maloney, meyerowitz, shore, sternfeld」という4名の写真家の写真展で、「new color photography der 1970er jahre」タイトルです。1970年代のランドスケープを中心としたカラーの作品でした。

Image515_3

左がkiyoshi suzuki 「soul and soul1969-1999」右がmaloney, meyerowitz, shore, sternfeld 「new color photography der 1970er jahre」

A4サイズです。写真だとよくわからないかもしれませんが、中央にミシン目が入っていて切り離すことができます。裏はそれぞれの概要とレセプション招待が記されています。

Image516_6 

「soul and soul1969-1999」のアップ。「天幕の街」には未掲載のコラージュです。ポスターにも使われていました。

最初は2つの写真展が同じギャラリーの中で展開されるのはどなん感じなんだろうか、と思っていました。でも、鈴木清はモノクロが中心ですし、双方まったく個性が違うこと、会場が広く空間的な余裕があったこともあって、場としてはなかなかいい融合でした。ギャラリーに来て下さった方には、2つの写真展を楽しめてもらえたのではないでしょうか。

展示で使っているスペースとしては、鈴木清のほうが断然大きく、広大なギャラリーの7割位を使っていました。ちなみに、DeichtorhallenのHPによると面積は約6,000㎡とありました。1辺が75mとして、25mプールが3倍?なんて考えるといかに広いかご想像いただけますでしょうか。さすが、もと花と野菜の市場だけありますね。

作品点数としてはオランダ展より約10点ぐらい増えていますが、広さは圧倒的に今回のほうが広いので、いかにレイアウトが伸び伸びと”遊んでいた”のかおわかりいただけるのではないでしょうか。

だからといってオランダ展がきゅうくつな感じがあったか、というと全くそんなことはなく、オランダ展でも「余白の遊び」の素晴らしさに感動したのを今でも覚えています。結局、広さに関係なく、その場の雰囲気、特徴を活かしたレイアウトをその都度創造できるセンスがあるということなのですね。

ということで、ちょうどインビテーションカードもご紹介できたので、改めて会場にご招待したいと思います。会場の様子を一部ではありますが、HPにアップしました。ぜひ、鈴木清ワールドをご覧下さい。

http://homepage3.nifty.com/kiyoshi-suzuki/gallery2.html

これからもブログでは、少しずつですが写真展の反響などもご紹介したいと思っています。それでは、また。

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2008年11月30日 (日)

ハンブルグ日記22

ハンブルグ日記22
ハンブルグ日記22
(上)ジーゲスゾイレ(下)クリスマス市でソーセージとグリューワインで乾杯

最後の晩餐 その2

ジーゲスゾイレとは、ドイツが戦争に勝った記念に建てられた塔で、その頂上には黄金の勝利の女神がいます。そう、あの映画「ベルリン天使の詩」で天使が女神に腰掛けて、休んでいる、あの場所です。

映画の中では、天使はフランスからさすらってきた来た美しいサーカスのブランコ乗りに一目惚れし、人間になろうとします。

鈴木清の「天幕の街」でもサーカスがでてきて、ブランコ乗りやピエロ、ライオン使いなどが出てきます。その中の一人のタイトルは「西ドイツからきたスーパースター」でした。かれもまさかドイツ(しかも統合した!)に凱旋帰国するとは思っていなかったでしょう。

もしかしたら、鈴木清も女神に腰掛けて、次はどこへいこうかと考えているかもしれません・・・


それでは、ひとまずドイツとはお別れです。
チュース!

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ハンブルグ日記21

ハンブルグ日記21
写真美術館


最後の晩餐 その1

今日でいよいよドイツともお別れです。

締めに選んだのは、写真美術館、バウハウスアーカイブ、新ナショナルギャラリー、そしてジーゲスゾイレです。

しかし、いきなり写真美術館は次回の準備中で展示をみることができませんでした。残念!しかし、これまた外観だけですが、歴史を感じる素敵な建物です。

気を取り直して、バウハウスアーカイブに向かいました。バウハウスアーカイブは、ベルリンがバウハウスの第3期の場所であり、その歴史が一度終わった場所なのです。そして見ていて思いだしたのですが、実はバウハウスはオランダとも深い関係がありました。

オランダ展の際にいったブルーナの「ミッフィ美術館」でデ・スタイル派というデザインの新しいムーブメントがあり、ブルーナもそれと関係をしていることを知りました。そしてそのデ・スタイル派がバウハウスの初期にとても影響を与えていたのです。オランダ、ドイツ、今までの私の中では点だったものが、一つの切り口で線になっていくのが、とてもおもしろいのです。

そういえば、鈴木清も何かを聞いたりいったりすると、「それならこれを読まなきゃね」などと一見関係のなさそうな、でも実は繋がっている何かをよく教えてくれました。単に知っている、だけでない、知の深みにいつも驚かされたものです。

次の新ナショナルギャラリーは、これもまたバウハウス繋がりで、バウハウスの初代校長が設計したものです。今は大規模な「パウルクレー展」が開催されていました。パウルクレーもまたバウハウスの教授だった一人ですが、その色彩を生でみてみたいと思っていたのでラッキーでした。

色彩の天才のようなことがよく言われので、もっと鮮やかな色彩かと思っていたのですが、深みのある、単にパステルや綺麗という色合いでないことが意外でした。私はむしろ彩色のものより、エッチングのような細い線画に、デッサンの正解さといたずらさが感じられておもしろいと思いました。

さて、次回はジーゲスゾイレで締めたいと思います。

つづく

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2008年11月29日 (土)

ハンブルグ日記20

ハンブルグ日記20
ハンブルグ日記20
ハンブルグ日記20
おまけ編(ベルリン)

デッサウからベルリンにもどり、やはりベルリンに来たからには「ベルリンの壁」をみなければ、と思い、旧東ドイツ側のイーストサイドギャラリーにいきました。現存する壁は、ここにある1.5kmほどだそうです。

びっくりしたのは壁の厚さです。もっとぶ厚いのかと思っていたのですが、10cmはなさそうです。でも、たったこれだけの厚さの壁で、一つの国を別けていたのかと思うと、人の心を別けるには、余りある厚さだと感じました。

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2008年11月28日 (金)

ハンブルグ日記19

ハンブルグ日記19
ハンブルグ日記19
(上)バウハウス校舎の渡り廊下(下)教授達の家だったマイスターハウス

バウハウス編(デッサウ2)

昨日に引き続き、デッサウでバウハウス巡りです。

今日はバウハウス校舎と教授達が暮らしたマイスターハウスをめぐるツアーに参加しました。

ドイツ語オンリーのツアーなのでグループの後ろでのんびり眺めていようと思ったら、幸か不幸か私一人きりでした。しかもツアーのガイドをしてくれるやや年配のおしゃれな女性バーバラさんは容赦なくドイツ語で話しかけてきてくれます。

でもなんとかなるもので、彼女の体全部を使ってバウハウスのスピリッツを伝えようとくれる姿には感動しました。そのおかげで、私にも不思議とわかるのです!彼女が言わんとしていることが!いいデザイン、強いアートには言葉はあまり必要ないのかもしれません。そういえば、写真展に関してもオランダ語、ドイツ語、英語、フランス語が入り交じりつつ、お互いにわかりあえていたのを思い出しました。不思議ですね。

バーバラさんの説明によると、あまりに有名な校舎の「BAUHAUS」の看板もナチスによって取り払れ、当時は代わりにナチスの旗が掲げられていたそうです。その話を聞き、ドイツの歴史の一端に触れた思いです。

校舎を隈なく案内してもらった後は、教授達が過ごしたマイスターハウスを案内してもらいました。ドイツ語がわからない私でもわかったのが、黒という意味の「シュバルツッ」です。なぜかというとドイツ南部の針葉樹林地域を「黒い森(シュバルツッ バルト)」ということだけをしっていたので、妙に納得してしまいました。

バーバラさんによると、バウハウスでは赤、青、黄の三原色の他に黒、グレーを大事にし、意味がそれぞれあるそうです。言われてみると、なるほどで、建物のさりげないあちこちに、行動や気持ちと繋がるような配色をしていたのが印象に残りました。しかも、いちいちが丁寧な仕事なんです。匠の技というべきか。こういうところは日本と通じるような気がします。

バーバラさんのおかけで充実したデッサウでの時間を過ごすことができました。他にもデッサウにはバウハウス関係の建築はたくさんあるのですが、それは次の機会のお土産にしておくことにします。

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ハンブルグ日記18

ハンブルグ日記18
ハンブルグ日記18
バウハウス編(デッサウ1)

ワイマールを後にし、バウハウスの第二期を過ごしたデッサウに向かいました。

バウハウスはナチスに迫害されドイツで1933年に終わりますが、その教師たちや関係者はアメリカやカナダに散ります。ジューンさんが学んだのは、カナダのニューバウハウスでした。

デッサウはワイマールの牧歌的な雰囲気にくらべればとてもモダンな感じがします。デッサウが工業都市として栄えていたことも移転の理由の一つらしいです。

このバウハウス校舎は、ナチスや戦争によるダメージを修復し、今もなおたくさんの学生が世界からデザイン、都市計画を学びにきているのだそうです。

デッサウではバウハウス校舎に一泊しました。オリジナルに忠実に再現された部屋はどこか無機質な感じがしましたが、無駄がなく、シンプルで機能的な家具、配置はいかにもバウハウスという雰囲気です。昔はここで、熱意ある若者達が伝統と最新技術を活かして、日々研鑽していたのかと思うと、バウハウスが今だに根強い人気がある理由が少しわかるような気がしました。

つづく

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2008年11月27日 (木)

ハンブルグ日記17

ハンブルグ日記17
バウハウス編(ワイマール)

今回ドイツにくるにあたり、どうしても尋ねたい場所がありました。バウハウスが生まれた街ワイマールと第2期のデッサウです。

なぜ、バウハウスか?それは8年前に遡ります。鈴木清がいなくなり、傷心だった私達家族をニューヨークの自宅で温かく迎えてくださったロバートフランクさんと奥さんのジューンさんと話をしていた時でした。ジューンさんがバウハウスで学んでいた、という話になぜかなり、そのことがずっとどこかに残っていました。ジューンさんのつくる作品の雰囲気に惹かれ、そんなジューンさんのルーツの一つかもしれないバウハウスをみてみたかったのです。

ということでまずは、ベルリンから特急で2時間ほどのワイマールへ向かいました。しかし!残念ながらお目当てのバウハウス美術館は来年の90周年記念の為か改装中でみることはできませんでした。

しかし、ちぇっ、と思いながらみた「ゲーテ博物館」が意外によくて、ゲーテがファウストなどを執筆した書斎や蔵書、収集していた鉱石などは見応えがありました。私はてっきりゲーテは作家、詩人だけだとばかり思っていたのですが、政治家であり、科学者でもあったようです。得に蔵書は哲学から自然科学まで幅広いそうで圧巻です。鈴木清の本棚も写真集より絵画、哲学、詩集などが多く、一緒にするのもどうかと思いつつ、本の頁をめくることって重いな、と思う一日でした。

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